2011年12月7日水曜日

PRのPR

大手の広告代理店を辞めて、PR業界に転じる若い女性のコラムが一瞬話題になった。PRみたいな裏方商売に一部では昨今スポットライトがあたっているようでうれしい限り。人材不足と言われるPR業界に、他業種から若い人が(しかも大手企業を辞めて)チャレンジしようとしているのだから、少なくともすでにPRに従事しているひと(さらにガールじゃないひと)は、本来、PRの仕事の一部である人やモノが世に出ることをサポートする役割であるを思い出して、新しい(しかも若い)人を応援するべきであると思う。

しかしながら、その話題の延長で発見したマーケティング会社(PR会社?)の企業サイトが、実に興味深い。前回のポストに一部かぶるが、戦略PR、WEB PR、トレンドブログ、ソーシャルメディアマーケティングと、PRトレンドの最先端キーワードが満載だ。膨大に抱えるブロガーから最適なブロガーを抽出して、サンプルや体験を提供し、ブログでレポートしてもらい、そのブログをコンテンツとして2次利用することもできるそうだ。媒体が少なくなってきている今、顧客とのコンタクトポイントをウェブ上に多く持たせるという点では非常にニーズの高いサービスなのだろう。

興味深いのは、その企業を活用した企業名や企業ロゴ、かなり大手の企業がそこに実績として掲載されていることだ。PR会社、しいてはそれを提供した企業が " こんな話題作りをしました" "あの製品がうまくいったのはこういうからくりです"と公言していることになる。こういうことは、インハウスのPRは非常にやりにくい(と思う)。少なくとも、"この技術がすばらしい"とか"自社の哲学に基づいて作りました" とかPRしている脇や後で、こんなからくりでした、は、当事者としては言いづらい。ユーザー側に立ってこういうロゴ群を見てしまうと、そこに掲載されている企業のどの製品がこの手の意図的な話題作りのもとで話題になったのか、いらぬ興味がわいてくる。この会社は、その事例のページは、"マーケティング"と明記しているし、広告換算で自社の仕事の評価を掲載しているわけだから、それが問題だということではまったくないのだけど、この手のアプローチってやっぱり広告なんだろうなと思う(メディアのスペースを買っているわけではなさそうので、そこは微妙)。

そういう意味では、マーケティングやPRに限らず、世の中気分がオープン&ソーシャルだ。私、いまここにいます! いまからこれ食べます! このテレビ見てます! と同じように、あのニュースのネタはこんな風に作りました! 

インハウスの広報は、言いたいことより言えないことのほうが圧倒的に多い。言いたいことを言うよりも、市場の声を聞いたり、言わなければいけないことを言うことの方が圧倒的に責任が重い。長くやっていればいるほど、なかなかこのマインドセットを変えるのは難しい。

しかし、時代は常に流れ、メディアも変わり、受けても変わる。時代の流れにのった新しい感性のひとたちで、新しい手法を自由に生み出して行ってくれることに期待&注目しています。

2011年11月28日月曜日

驚愕の高校時代

週末の疲れを吹っ飛ばす今朝の散歩道中。渋谷のスタバでわんこを外で待たせて1杯。

"あのー、あっちゃんじゃない?" ...お隣のレディに話しかけられて朝から脳フル回転、うー、だれだっけ.... 昨今、私をあっちゃんと呼ぶ人はヨガの先生と竹林さんしかいない。MS時代の友人はぼんちゃん、グーグル以降社内外みんなあつこさん、ということは、学生時代??? 

こちらの困惑した状況は伝わってないのか構うことないのか、レディは確信を持っている。"いやー、全然変わらないねー!テレビで見たことあるよー。"

こちらも名前は思い出せなくても平気で話せる職業病。" 懐かしー!最近どうしてるの?" 相手がしゃべればなにか思い出せるはず。"普通〜。大学卒業して、xxx商事に勤めて、社内結婚して、いま主婦。自宅で英語教室やってるの。今日はお友達とネイル" ... あー。アタシもその予定でした。女子大の学費もお稽古ごとのお月謝も活かされることなくすべてムダに... お父さんごめんなさい...

"そういえばさ、あっちゃんって、いるところだけ教科書やぶって学校持ってきてたよね。ノートなしでその教科書に全部書き込んでてさー、試験終わると捨ててたよね"

え???

試験の前になってノート交換すると、毎回教科書の切れ端が回ってきたもんね、アハハ! 

え???

授業の最後に先生がなにか質問ありますか? って言うと 今日の授業の要点はなんですか?って質問してたよ。で、それがその教科書に書いてあった。<要点>って。

えええ???? 

あとさー、クラスでお財布盗難事件あったじゃん、あのときアタシたちのグループみんななくなったのに、あっちゃんは、アタシは平気って言う理由が、"お財布もって歩かないから" って。お札と小銭と定期、スカートのポケットにじゃらじゃらっって。

... そ、そんなことよく覚えてるね。

自宅で英語教室やってるんだけど、生徒さんにとにかく教科書をよく勉強するように言ってるの。たまたまあっちゃんテレビで見たときに、なんか教科書やぶってきてたの思い出して、生徒さんにその話するの。教科書の必要なところだけ勉強してるだけで、先生のお友達は海外のいい会社で働いてるよって言うと結構ウケる。

恐縮です...

朝からびっくり、ひどい高校生だ。記憶にないけど、いまの自分から想像するにさもありなん。いまも出張や旅行もいかに荷物減らすかに命がけ。かばんが大きいことが大嫌い。高校って授業多いから考えたら教科書やノートそれぞれに持っていくの大変なんじゃないかと。うすーい記憶を呼び起こすと教科書をおきっぱなしにして帰ってはいけない指令みたいなのが出て、自分なりに考えたのではないかと... 今だったらまとめてスキャンしてiPadで持っていったりするのかな。手書き入力でメモとかw 教科書もクラウド時代。

待ち合わせしていたレディのネイル友達がいらっしゃり、携帯の番号だけあわてて交換して、お名前ゲット。高校の同級生、3年間同じクラス。

人生、色々。

2011年11月25日金曜日

xx PR

元来、xxx とは、という定義づけ議論が苦手だし、それを生業にしている知り合いもいるので発言は控えてきたけど、学習院の藤代先生のツイッターで興味深いポストがあったので便乗して書いてみる。

ここ数年のPR業界はxxxPRというのが流行っているみたいだ。少し前は戦略PR、最近はソーシャルPR。私はどちらにも乗れてないし、乗る気がない。古いってことかも。--- 結構。

PRなんて戦略的で当たり前なので、その前に改めて戦略とつけることは私にとってはちょっと恥ずかしい。PRエージェントのプレゼンを受けるときに、<戦略的提案>というスライドがあったらそれだけでもう気分は終了だ。PRの仕事のなかには流し仕事や単なる作業もたくさんありますが、お金払って時間使って出してもらう提案は、戦略的で当たり前です。世間で言うところの戦略的PRの詳細は知らないけど、もうそのワーディングセンスがアウトだ。私にとっては、です、念のため。

藤代先生の面白いポストを勝手ながらコピー(11月21日)。


"学習院のメディアリテラシーの講義で、ソーシャルメディアとPRについて扱ったら、複数のフィードバックシートに、口コミづくり(まずいやつ)のアルバイト経験ありとの記述。何も知らないから仕方ないとはいえ、対応は考えねば。WOMJとして大学生向けのプログラムも検討したいなあ" 

私個人としては、これ、マーケティングがマーケティング活動としてやるならOKで、企業の広報が広報活動としてやるならNGだと思う。さらに言うなら、ソーシャルメディアのように企業が直接ユーザーとコミュニケーションするものはマーケティングや製品担当以外のひとにやってもらって、広報としてははそれと一線を画していたいとずっと思っている。さらに言えばマーケティングと広報はやはり別がよいと思う。これは、マーケティングとはナントカで、広報とはナントカだという定義づけの問題ではなく、企業としてのオポチュニティの最大化とリスクの視点で以前からずっと思っていることだ。

マーケティングの人の多くは、話題を作る、製品を売る、そのための調査や企画、宣伝などのコミュニケーションのプレイヤーだ。なので、口コミ作りのバイトを採用するのも社会倫理に外れてなくてその企業で問題が起きた時の責任を取れるならよいと思う。例えば新球団の開幕戦、お客さんががらがらだとかっこわるいから、地元の野球チームを招待して席を埋める、これ、だめなんですかね。私がマーケティング担当ならやると思う。

しかし、広報のモラルとしてはやらない。球団事情でやったとしても気分はかなり厳しいだろう。観客動員数字の発表の必要があれば、チケット販売できてくださった数字と招待した数字を分けて発表するなどすると思う。モノを売ることに貢献することや話題作りももちろん大切な役割だけど、企業とコンシューマとの距離感というか、社会性とか企業の説明責任とかリスクの軽減とかのほうが必要なセンスだと思う。

情報発信者である企業(や個人)とコンシューマとの距離感という視点で言うと、記者や媒体のような第3者に発信してもらうということは、私にとって非常に重要だ。いいことばかり書かれるわけではない。媒体もいまやいろんな媒体があって、間違って書かれる、トーンが気に入らない、確認不足などが続くと、もう直接発信できるブログやソーシャルメディアがいいよね、となりがちだが、飲み屋でオレってすごいと大口たたいているオトコがまったくすごく見えないように、自分ですごいと言ったところで、へー、で終わりだ。競合や他業種も含め色々取材している記者さんになんとかコミュニケーションをとって、その第3者の目を通して、その先の読者にとって有益な情報として発信してもらわねばならない。広告費に換算するといくらだとか、いいね!が何個ついたとかではなく(マーケティングの指標としてはとてもよいと思う。念のため)、どれだけその記事によって世論に影響したか、そのネタを上手に提供できたかが自分的広報満足度。ソーシャルメディアは、その記事が引用されて人々の関心の喚起度合いを見るツールとしては便利だなと思うと思うけど、ソーシャルメディアで直接発信をするのはPR的ではくマーケティング的なアプローチの方がよいのではないかと思う。オリンパスはすばらしいカメラの情報が出ているFBページで、昨今お騒がせしてすみません、って話をするのかと言えばしないだろう。ツイッターは情報発信ツールとしては広報的にも便利だけど、意見や思想を展開するにはちょっとリスクが高い気がする。

以前、検索エンジンの会社がPPP( Pay Per Post) で問題になって、私も従業員としてその場にいたわけですが、あれは検索エンジンの会社がやったからダメなのであって、そして現行のネットの検索モラルで言うとダメなわけですが、普通の企業がマーケティングアクションとして考えそうなこととしては別にダメじゃない。ただ広報的には、お金払ってまで昨日までウチの会社のこと知らなかった人にどうして情報をばらまいてもらいたいのかと思うと思う。

ま、結局やりたくないってことを言ってるわけですがw。あとまだまだジャーナリストの力を信じているし、トラディショナルメディアの再生に期待している。長年どこでもひとりでやってるもので接待もせず何もご提供することなく雑なコミュニケーションで失礼していますが、ネタはよいものをご提供することお約束しますので、よろしく。。。ってなんか言い訳のポストになっちゃいました。お会いしたこともないのに勝手に引用しておきながらすみません>藤代先生。

2011年11月20日日曜日

TPP問題のこと。


ななこネタがあるころはそれなりのブログだったのですが、昨今、どこ行って何食って何遊んだかしか書いてないと指摘されたので、多少考えていることも書いてみる。

とろい、とか、どんくさい、とか何かと平仮名っぽい現政権。支持率ゼロの国民新党党首亀井静香がちょっとまともなことを言っている。「民主党の悪いところはできもしないことをやると言って不必要に国民を不安にさせている」いやー、初めて同意しました。我々有権者も悪かった。どのみちどの政党でも大差ないのだから、新しい政党になにかチャレンジさせるなら、バブル期のような調子のいいときにさせるべきであって、今のように大変な時期にわざわざ政権新人に権限を与えるべきではなかった。これは有権者が学習すべき点。個人的にはもうEXLIE が内閣になってあのひな壇で写真撮影しているほうがマシなんじゃないのかと思う。全員イケメン、支持率高い、若くてやる気十分。

TPP問題には個人的に強い関心を持っている。個人的には参加賛成だし、むやみに反対しているおじいさん政治家はもう縁側でちゃぶ台ひっくり返してればいいと思うんだけど、今の政権に諸外国との交渉能力があると思えないという理由で、とりあえず今は止めといた方がいいんじゃないかと思う。わかりやすく米問題で言うと、アメリカでざっくり1俵3000円の米が入ってくると現状1万4000円で作っている日本のお米は価格競争で負けるという話になっていますが、日本に住んでいる私は安いからと言ってわざわざ海外から来る美味しいかどうかわからないお米は今更買わないです。親にも食べさせたくないです。秋には、さすが新米、うまいねーと半泣きしながら朝ご飯を食べたいです。まー、あと、これだけ出張が多いと移動で受けるストレスは理解しているつもりで、それは食品も同じで、できるだけ地のものを添加物なしに食べた方がいいと思うわけです。昨今、アボカド以外、外国産品はほとんど食べてないつもりです。

自動車産業に関わる者としては、円高や関税は解決すべき問題で積極介入または参加に賛成ですし、お米のことで言えば食費が安くなれば生活費が安くなって、各家庭、子供をもう一人と思う夫婦も出てくると思うので、よいことだと思います。友人で男の子4人の家庭がありますが、彼らが1回で買い物する食材は、私の1ヶ月分。量が幸せの年齢のときは、10キロ8000円とかのコシヒカリの必要はないわけで、やはり都合に応じて消費者が選択できることが望ましいでしょう。私たち(たちって他に誰だ)のようにいい年をしてお気楽ポンチな者どもは、贅沢病に任せて値段に関わらず国産のおいしい農産物を買い続けます。そのためにも頑張って働き続けます。

なので農家の皆さんには政府がどう出ようと美味しいお米や野菜を市場に出していただける工夫をご自身でなんとかお願いしたいと思います。補助金出しますって簡単に言いますが、元は税金でっせ。すでに結構払ってますって。しかも自動天引き。

とりあえず現政権はこれについてもうなにもしなくてよい気がします。じっとしていることも能力の一つです。なにかできるのであれば原発問題さっさと片付けて米どころの米がだれもが不安なく食べられるようにしてください。

とはいえ、今週は福島>仙台。うまい米食べるぜい。

2011年11月8日火曜日

ガイジンツアー? in 福井

週末に一緒に福井に行ったBin-chanによる道中記録を書いとけというリクエストに応えて、次のミーティングまでの30分の空き時間を利用して、福井ツアー記その2。

大人の人格形成をアメリカで行ったbin-chanと、日本で生まれ育って一度も海外経験がないけどなぜか香港マダム(後述)の二人の旅行は、微妙にガイジンツアーで、知らないこと、初めてのことがたくさんあった。GLAYも初だし。

小松空港に到着してからの軽い衝撃は、Bin-chanが予約してくれたレンタカーが、国産の軽だった。2日間使うだけのクルマなので、香港マダムも本来、軽で十分なのですが、なんてったって現在スポーツカーの会社に勤めており、クルマはかっこよくなきゃだめなんですと全国放送、全国紙でしゃべりまくっているわけだから、Bin-chan、軽はだめなの、とレンタカー受付で変更をごねる。しかし、変更するのに10分かかるというので、気の短い香港マダムは、10分待つなら軽でいいという意味不明の心変わりで、とりあえず軽で出発。感じの悪い香港マダムは、運転歴20年のなかで、実はスポーツカー以外運転したのは、5月のアメリカ出張と7月の和歌山旅行のみ。さらに感じの悪いことに、ここのところ左ハンドルしか運転していないから、ワイパーで右折すること、多数。。。ちゃんとウィンカーが出せると、すごい達成感で、おお! ウインカーちゃんと出せたね!! と車中で異常な盛り上がり。

小松空港から一路永平寺へ。アメリカーンなBin-chanに、永平寺は一番戒律の厳しいお寺だよと日本人ぽく説明する香港マダム。境内にはすごい大きな切り株や岩がたくさんあって、歴史の重さを感じさせる。すごいなー、まさに、千代に八千代にだねー、と言ったところ、B: そういえばさざれいしってどういう石? マ:小さい石 B: え?小さいの? --- 周囲に人がお年寄りが多数歩く中、かなりいやな予感がしたが、Bin-chanの想像力はマダムの想像力を遥かに上回るものだった。さざれいしのーいわおとなりて♪ の意味するところ by Bin-chanは、さざれ石(という岩の)岩音鳴りて♪ だ。Sazare-stones play the sounds, and make moss! いやー、旅ののっけからウケました。さすがアメリカン、豪快です。

永平寺、子供の頃(=30年くらい前)雪深い日に来たことがありました。もっと厳粛なイメージだったけど、いまは観光用にちゃんと整備されていて、英語と日本語ですべて説明があり、修行僧の皆さんが普通に働いています。"修行僧にカメラを向けないでください" と貼り紙があったので、写真は撮らずに声をかけて色々質問。結構イケメンが多かった。

永平寺町は広くて、目指す黒龍の直営店はお寺からクルマで20分ほど。楽屋に差し入れすべく狙っていた限定のお酒はすでに売り切れ、でも一升瓶であれば生のこれまた限定のお酒がありますと勧められる。あー、生酒いいな、打ち上げにぴったり。ということで、なぜか一升瓶2本お買い上げ。1本は東京に持ち帰る。築100年以上という建築物は静かで重厚感があって、褒めちぎっていたら、ご自宅の中を見せて頂けることにw かもいや天井、床の間など細部にわたって手が行き届いていて、家に帰ったらもっとちゃんと掃除をしようと思いました。

そしてホテルにチェックイン、クルマをおいてライブ会場へ。地方でライブに行くよさは、それを理由に普段行けない土地に行ける、帰って仕事しなくてよい(よいわけではないがあきらめがつく)、ホテルに荷物を置いて手ぶらでいける、終わってからその土地の美味しいものが食べられる、などなど。到着するとすでに大勢のファンで盛り上がっている。皆さんがポスターと一緒に写真を撮ってたので、マネしてパシャ

ライブ満喫。昨日も書いたけど音楽はすごい。これだけ一度に多くの人を異次元に運んで行けたり、素に戻してくれたりできるのは音楽とスポーツくらいじゃないかと思う。見ず知らずの多くのひとと音楽を通じて時空を共有する。音楽がもたらしてくれる、同じ時代を生きているという連帯感。そういうものがお互い助け合ったりする気持ちを自然と醸成していくのかなと思ったり。ライブはどこかの誰かと同じ思い出を作ってくれる。もちろんミュージシャンとも。それが素敵。

駅前の床屋さんの次男坊@東京の美容院に教えてもらった美味しいお寿司屋さんで、お寿司屋さんから色々福井のことを教わりながら、閉店時間を無視してライブの勝手打ち上げ。うまし! しかし、日本酒4号瓶で3本くらい飲んだはずで、後半記憶なし。

ぐっすり眠ってさっぱり目覚め、天空温泉に入り、もはや2日間の愛車の軽で北陸の自然堪能ドライブ。おいしい朝ご飯をいただいたと言うのに、あー、スターバックス飲みたい。もはや病気。偶然に見つけたスタバの看板、なんとドライブスルー! スタバのドライブスルー、そんなのあるのかということで、興奮気味に初トライ。結果はこの通り。Bin-chan のコメントがイケてます。

好きなことだけした2日間。贅沢な週末。ここ数年、毎週のように朝ご飯を食べに行っている東京の某ホテルで、ずっとガイジンだと思われているようで英語で話しかけられるという話をしたら、Bin-chanが気に入って、ずっと香港マダムと呼ばれ、気分は香港マダム。次回はスポーツカーでね。

The Nippon with GLAY in 福井


長く濃いアメリカ出張のアタマと気分から帰国後も戻ることができず、珍しく疲れが抜けずにいたところ、偶然Twitterで見かけた ”新潟初日終了" の文字。いいなあ、新潟。新米、温泉、日本酒、日本海の幸、そして日本語で音楽聴けたらいいな。。。軽いノリで " いいですね" とreplyしたら、"是非来てください" と礼儀正しい社交辞令のようなre-reply をいただいて、" ミュージシャンもパブリックな場所でのコメントは大変だなー"と思いながら、行く気満々で検索検索。ライブ好きのびんちゃんにも、GLAYのライブ行かない?とメール。ライブチケット、航空券、ホテルの手配もさくさく済ませて、福井行きます、と高らかに宣言。アマゾンでCD大人買いして音楽だけ大慌てで予習(どのみち踊れない)。

GLAYのことは正直よく知らなくて、なんでこんなに情報不足なのかちょっと謎だけど、デビュー当初もよく知らなくて、どこかの1-2年分は少し知ってて、その後はほとんど知らなかったんだけど、番組の撮影でご一緒する機会があった。制作会社の方からご依頼をいただいて、その番組パーソナリティのHisashiさんのインタビューなど調べたのだけど。。。やー、こりゃまずい、言っていることがほとんどよくわかんない、確実に会話が噛み合わない、なんとか断れないものかと色々難癖をつけてみたのだが。。。優秀な制作会社の方々によって押し切られ、当日をかなりブルーな気持ちで迎えたのですが、お会いしてびっくり、話してみたらさらにびっっっっくり。アタマいい言語センスいい運転しなやか空気楽しいい。反省としては撮影中私はちょっとしゃべりすぎました。ファンの方達はアタシやクルマの話じゃなくて、Hisashiさんのトークを聴きたかったわけで。。。スミマセン。。。

そんな感激したのに+放送もいい感じで結構好評だった(と思う)のに、その後音楽聴くこともなくtwitterフォローだけでさらにスミマセン。。

ライブ楽しかった。結局あまり予習は役に立たなかったのだけど、ま、その場でノレればOK。お立ち台世代なので、音楽がよければノレるのです。東京にいると眠くなることや電話の音に気づかないことを避けて過ごしてるけど、ここまで来ちゃえば戻って仕事しようという気も失せてるし、ノレるだけのって、飲むだけ飲んで、日本海の幸でお腹いっぱいになって、ぐーたら寝てやる。本社からの未明の電話も今日は出れないって言って来たし、いえーい、的気分で満喫。とにかく心身頭休めたかったという思いは、GLAYの音と連れのびんちゃんとのお笑い道中で解決。礼儀正しい社交辞令と思っていたHisashiさんにも、(たぶん)なんだかホントに歓迎していただき、嬉しかった。

しかし、音楽やスポーツはすごいな。こんなに一度にたくさんの人を感動させたりひとつにできたりすることって他にあるかな。。。スポーツは刹那的だけど、音楽はsustainable だな。GLAYにはU2やRS、ASみたいにおっさんおじいさんになっても、同じメンバーで広く愛されるバンドでいてほしいと願っています。その可能性に憧れを覚えました。男の子4人の仲良しっていいよな。。。

ちなみに、ライブの前に永平寺訪問、ライブのあとに桜寿司さんで飲酒飽食、翌朝、東尋坊など訪問。最強の海の幸をいただきましたが、普通の定食屋さんで食べた新米のご飯がすごく美味しかった。

紅葉にはちょっと早かったのかな。 GLAYライブ、また行きます。

Special thanks to Hisashi-san, 衣川さん、and Bin-chan for my rest.

2011年9月6日火曜日

ガルガ直伝? 10分でできる伊式速攻料理


Amazon.co.jp
バブル華やかなりし頃、イタリア料理は"イタめし" と言われ、おしゃれなデートや合コンといえばイタめしだったわけですが。。。バブル堪能組の私としたことが、某お寿司とか某和食の贅沢の記憶が鮮烈すぎて、某老舗のありがたみもわかないまま、イタリアン=ケチャップべったりナポリタンの認識のまま社会人に。(ちなみに最近品川に越された笹塚出身の旧友たちとお若い方の為に、ここでいうキャンティとはこちらで、こちらのことを言っとるわけではありません。念のため)。某誌の仕事でインタビューの会場として拝借した青山サバティーニで4500円のナポリタンをいただいて驚いたりしておりました。

転機は世の中的にはバブルは崩壊、出版バブルはまだ続いていた90年代半ば、歌舞伎のイタリア公演の3週間同行したときのこと。お国が誇る役者さんとそのご家族と一緒だったもので、初めてのファーストクラス、初めての超高級ホテル(バスタオル大きすぎて体に巻いて歩いて転んで激しく擦りむいた痕が微妙にまだ残っている)、どこに行くのも素敵なおクルマ、毎食地元や日本からのお金持ちたちと豪華ご飯、所詮サラリーマンの娘であるので慣れないことに疲れきって、雑誌1冊作らなきゃいけないから仕事は仕事で忙しく、楽しい思いでがひとつもないまま帰国。そのままイタリア嫌いに。イタリア料理にも大して興味がなく、まあ、大人ですからつきあいではいくけど、ベジタリアンになったこともあり、イタリア料理にお誘いいただくと、毎度イタリアンなんて久しぶりですーと毎度申し上げる日々でした。

そういえば旅行につきあいだしたばかりの人とイタリアに行って、1日でいやになって帰って来たこともあったなあ。。。若かった。

しかしさらなる転機が訪れました。結構年を取ってから別の出版社に転職したときに、研修という名目でしばしミラノオフィスに滞在していたときのこと、週末フィレンツエに遊びに行きまして、出会ってしまいました、GARGA。普通にガイドブックかなにかで見て行った程度だった気がします。こんなに有名なお店だとは知りませんでした。しーかーし。とにかくイメージしていたイタリア料理と違うではありませんんか。なんぼでも入るではありませんか。そして食事が楽しい。食べることがとても楽しかったのです。

ミラノオフィスのあとは、ミュンヘンオフィスに1週間、(当時の)ロンドンに戻って1週間という食糧難に陥った私は、あんなに嫌っていたイタリアがすばらしく美味しい、楽しいイタリアの思い出となり、よく聞き取れない英語のなかで2週間働き、帰国する頃にはひとりイタリアブーム状態に。何事も極端なもので、着るものもドルチェやプッチが好きになり(今に続いている)、シチリアのワインを愛し(今に続いている)、イタリアサッカーを観にわざわざ行ったり(多少飽きた)、イタリア映画も好きだし(今に続いている)、オペラも観たり(お金がなかなか続かない)などなど。そして外でも家でもイタリア料理、よく食べるようになりました。

そんな中、去年、この本が出ました。びっくりした。本出すような店だったけなと思ったのだけど、懐かしくて、嬉しかった。

料理はわりと本を探して買って制覇しようと努力します。買った本をまずは最初にGo throughして、明らかに作らないものと必ず作るものに分ける。どちらにも入らないものは作らずに分けきる。いまだと肉は作らないから、ベジタリアンの本でない限り半分以上は作れない。この本は、ここ1年でほぼ、作るぞと決めたメニューは全部作りました。肉とドルチェ以外、そしてどうしても手に入らない黒キャベツのパスタ以外。パスタはどうしてもあんまり上手にゆでられない。グは美味しいんだけどなー。しかし、タイトル通り、本当に簡単で美味しいものばかり。我が家でよくご飯を食べている諸君、イタリア料理ぽいものはたいていがここからですw

この本から最強に簡単でうまいレシピをひとつ。
いわしのマリネ --- 本ではイワシのアタマと内蔵を取り除き、、、とありますが、お刺身用を買って来て、塩をふってレモンをたっぷり絞って1−2時間つけておく。汁気をキッチンペーパーでおさえて、美味しいオリーブオイルをかけてできあがり。わはは。白ワインにぴったりです。

ちなみにこちらのシチリア料理本も全部おいしい。
先日友達と行った西麻布キャンティもおいしくて幸せでした。いつ行っても高いけどな。まあでもいっかと払うときは、長年働いててよかったと思う瞬間であります(軽くおっさん化)。

それでもお寿司が食べたい今宵。
もはや病気です。

2011年8月21日日曜日

名古屋おっさん道中


少し前のことになるが、久しぶりに猛暑の名古屋へ。ちょいちょい出張しているものの、暑いと知ってて猛暑にわざわざ訪問するのは数年ぶり。外は暑いけど、タクシーもホテルもシンガポールですかと思うほど、クーラーがキンキンにきいています。

名古屋は肉を食べない人にとっては旅の食の楽しみがないのと、比較的緊張度の高い出張が多いので、いつもさくっと日帰りしてしまって意外と街に関する知識がないことがわかりました。名古屋城、味噌カツ、ひつまぶし、and...???  ちょっと調べてみると尾張徳川家のお膝元、ということで、徳川園という徳川家の邸宅があり、江戸時代はエコ時代という本を読んだばかりだったので、今回のテーマは、太陽光と水をうまくつかってほとんどゼロエミッションだった時代を再現、名古屋城と徳川園で <テスラ、タイムマシンで江戸時代へ>みたいにしようかなと思っていたのだけど。

いまいち浅いな。。。と、色々調べてみたら街のルーツはやはりモータリゼーションなのだということがよくわかりました。熱田神宮がまずできて、その周辺が海運で栄え、東海道の宿場町であり、陸路と海路の出入り口であり、トヨタのお膝元、戦後の都市計画で道路整備に成功し、現在の流通を支えている(余談ですが、某クルマも良く売れます)。ということで、今回のテーマはずばりモータリゼーション。リニア鉄道館とか豊田自動織機工場跡(トヨタ自動車のルーツ)とか、七里の渡し など見つけて、タクシーでまずは見て回り、タクシーの運転手さんに、アンタたち、こんなんどうやって調べたんね、普通の観光客行かないようなところばっかりだわ、無茶言うわ、と笑われ、結局、名古屋城と、一番気になっていた松重閘門に決定。市役所の方がすごい親切で、事前に周辺図を送ってくれたりしたのも助かりました。


それはそうと、Google Street View, Google Earth, 助かりましたよ。名所だけじゃなくてその周辺情報も必要だったので、上から横から、色々見ました。調べている途中で気づいたのだけど、名古屋、やはり道路整備がすばらしい。自慢の100メートル道路はもちろんだけど、一通でさえ道が広いから多少停めてあっても普通に通れるし=停めて撮影できるわけです。

往きの新幹線ではコーヒー、ランチにカレー、モータリゼーションについて語り、夜は名店でひつまぶし食べました。途中、女の子ってメシ出てくると必ず写真撮ってどっかにアップするよね、そうね、って話したのに、カレーもうなぎも写真撮ることなく、熱いうちにさっさと食べるぜ的テンションは、なんだかちょっとオッサン道中。

そういえば、ロケハンにつきあってくれたタクシーの運転手さんが、<無茶せんと、人生うまくいかんけね> と言っていました。

そうかもしれんね。

2011年8月19日金曜日

ドーナツ物語 Vol.2


にわかにドーナツづいています。
先日ブルーノートに行く途中で見つけました。Website によると間もなく1周年。知らなかったなー。

Haritts とちょっと感じは似てます。ヘルシーでやさしいお味。さらにナチュラル系。プッチにサングラスでちょっとこの店に入るには似合わないので入らなかったと冗談で笑い話をしたら、先ほど某イケメンがお土産に買ってきてくれました。つい昨日話して今日のお昼ですよ。

古今東西、イケメンはイケメンだけにあらず。
温かいお気持ちありがたく。

ごちそうさまでした。

2011年8月15日月曜日

Wonderful Jazz Days


5月のカリフォルニアの旅から帰って以来、ラジオを聞くようになった。自分のクルマを運転している時はエンジンの音や街の音を聞くのが好きだから、普段は音楽なんてほとんどかけずに運転しているけど、カリフォルニアで運転していたクルマは極めてスムーズなオートマで、ひたすらハイウェイを走るだけだから、まー、ラジオでもかけますかねと。するとまあ、普通のオートマ車がクールなジャズカフェに早変わりじゃあないですか。すばらし。

宣伝の仕事をしていたときに媒体資料を見た限りでは、広告媒体としてのラジオはあまりにスケールしないし、ターゲティングもせいぜい地域くらいしかできなくて、それ以来、私のラジオに対するイメージは悪かったのだが、クルマの仕事をするようになるとラジオでのコメントや取材のご依頼も多くいただく。まー、だれも聞いてないだろうと思って気楽に対応すると、案の定反響はまるでないのだが、コンビニとかガソリンスタンドとかファミレスとか、クルマのなかで聞いてそのまま立ち寄れるようなところとか、買えるような商材であればよい媒体なのかなとも思う。ウチもそこら中にディーラーがあるとかであればよいのかもしれないけど。

最近は家庭やオフィスでは、わざわざラジオ機で聞く人はほとんどいないそうで、インターネットラジオ、つまりPCやモバイル経由で聞かれているケースが多いそう。世界中のラジオ局にアクセスできるなんてすばらしい。iPhoneのラジオアプリもすばらしい。私もカリフォルニアで見直したラジオ熱さめやらぬ中、PCからインターネット経由でジャズチャンネルに早速アクセス。なんのトークもなく24時間、ひたすら音楽が流れていて、やー、ラジオ、これでいいよなと。フクヤマのエロトークもよいが、実際、なにかしながら聞くわけだから、エロトーク聞きながらまともな仕事もできないし、じーっと聞いているわけにもいかんし、その時間にいちいちチャンネル入れるのもよっぽど好きな人か必要な人だけだろう。スイッチ入れたら素敵な音楽が流れてくる、必要なときに切り替わって必要な情報が提供される。それで十分。ラジオはシングルタスクでよいのである。

ということで、ななちゃんの死後がんばれ私キャンペーンで購入した物品の数々のなかのひとつ、HeritageでJazz Channel つけっぱなし。気のせいだと思いますが、PCで聞くより音がラジオから流れてくる音っぽく、Jazzy な気分が盛り上がります。

我が家の夜はちょっとNYです。

2011年8月13日土曜日

飲酒。都会の海にて。


毎夜のごとく飲酒に通う代々木上原のファイヤーキングカフェは、写真や絵画などのアートが展示され、昼間美術館になかなか行けない人々にとっては、入場料5000円の美術館お酒付き、と言ったところであります。かなりリラックスモードで行くので、この展示が気持ちがよいと、素敵なアートとともに寝る前に1杯飲みたくなり、1杯じゃたいていすまないのが問題であり、展示が気持ちよくないと行く回数が減り、お財布と肝臓には優しいのでありますが、結局他で飲むので、まあ結局飲むのであります。

今月は、写真家の杏橋幹彦さんが、海中で撮った美しい波の写真の数々が展示され、東京にいながらにして、美しい海とともに飲酒することができます。普段、海はどうしても陸から広く見るか、海上から遠くを見るか、空から俯瞰するかしか絵の記憶がないので、海がきれいとか汚いとか思う時はその全景に対して感じているわけですが、ここにある写真は、海というより波や海水を生き物としてとらえてあって、その表情を切り取っているように見えます。ちょっと見たことのない世界です。

昨日は偶然、写真家ご本人がお隣で、光栄にも少しお話をすることができ、なぜこういう写真を撮っているのかとか、どういう思いで撮っているのかとか、どうやって撮っているのかとかおうかがいすることができました。

撮影はまさに命がけだそうで。
しかし、写真は海の普遍的なたおやかさや神秘を感じる、美しいものばかりです。

飲み過ぎ注意。

2011年8月5日金曜日

Brassai


最初に勤めた会社の上司のデスク後ろの書棚には素敵な写真集がたくさんあって、お茶汲み電話番コピー取りのお気楽ちゃんだった私は、日々それらを失敬してヒマをつぶしていました。週末、家で見たいからと持って帰って、ちゃんと週明けに返すべきでしたが返していないらしき本が地震後の整理で発覚。。。そしてナニに呼ばれたのか、10年ぶりくらいに駅で遭遇して、開口一番、あー、すみません、実はお借りしたまま返してない本がありました、お返しします、すみませんと平身低頭していたら、そりゃあ記憶にないらしく、いいよ、人生が少しでも長いひとに差し上げますよ、ということでいただいてしまいました。ありがとうございます。

Brassaiは戦前から戦後にかけてパリで活躍した写真家で、Paris de Nuit (夜のパリ)で有名です(ちなみにアマゾンだとアダルト扱いで18禁です)。いただいた写真集は死後に発売されたものですが、デザインがきれいで本全体にストーリーがあって、アンダーグラウンドを表現した写真が、本になってエレガントで洗練された1冊になっています。

お茶汲みコピー取り暇つぶしから、編集の仕事をするようになったときに、その上司が手書きで<編集の仕事>というメモを作ってくれて、何日前に入校するとか、作家への原稿依頼の仕方とか、ロジ的なことが列挙してある一方で、全体の構成やストーリーは事前に考えること、準備で仕事の8割は終了、中学生にも理解できる原稿であること(義務教育は中学3年生までなので、の意)、写真の上に字はできるだけ乗せないこと、どういう事実確認をしたか記録しておくこと、などの注意事項が書いてあり、コピーして、デスクやノートに貼って、チェックリスト代わりにずっと使っていました。今は出版業ではないけれど、どんな仕事にも共通して使える私の仕事の原点であります。

この写真集は元々ジャーナリストだったBrassai の原稿と写真が機能的に編集されて、写真集というよりは超ラグジュリーな雑誌のようです。そんな上司がいかにも好みそう=洗脳された私好みの1冊であります。

出版不況の中、モト取ろう根性かタイアップ縛りか、別の要因なのかはわからないけれど、昨今は情報を詰め込み過ぎで美しくない誌面が増えちゃったなと思いました。写真も原稿も海鮮丼みたいにひとつのどんぶりに盛ってあって、ナニを見てナニ読んだんだか気持ちの整理できないままお腹いっぱい。家庭画報本誌にしばし逃避。相変わらずきれいです。

企業にいると企業側が発信したい情報を出すというよりは、もはや時代はできるだけ多くの情報を発信して、まずは"聞いてない"  を防がなきゃならず、さらに情報を選ぶ権利も受け手側にあるわけですが、メディアはもっと情報を絞る、ということをしてくれてもよいように思います。ただ、受け手が気持ちよく受け取れるデザインで。デザインとは見えづらのことだけではなく、ユーザーや読者のアクションとか手法とか素材とか全部含め。いい素材を手にして、もったいないから入れられるだけ全部入れられるものを作るか、自分が作りたいように作ってだれかが食べてくれるまでおいておくか、厳選に厳選した素材で美味しく作って、食べやすくきれいに盛りつけて、そして美味しかったと言ってもらうか。こう書いてみると一瞬脱線ですが、どんな仕事も同じですね。そして最後がやっぱり一番手間かかりますね。

このBrassai の写真集からも削ぎ落していくことの大切さを感じます。
貴重な写真集、拝借していたものからありがたいことに10年以上の時を経て、我が家の書棚の住人となりました。もう一度勉強します。
ありがとうございます。


2011年8月2日火曜日

ドーナツ物語


結局この年になるまで甘いものを食べる習慣がないのは、古くは母ではなく実は父方の祖母の影響であろう。思えば、横浜や神戸で育った母が、甘いものが嫌いだったわけがない。

祖母はいわゆるオーガニックやマクロビのハシリで、広大な田畑を使ってとにかく何でも自分で作っていた。当然、肉や化学調味料、白砂糖は御法度で、私が子供の頃アトピーになったことで激しく母を責めたらしく、母は異常なまでに私の食事を管理して、遠足のおやつは果物を持たせ、お寿司や天ぷらは日常的に食べていたが、ケーキは誕生日やクリスマスに食べる特別なもの、とされていた。おやつといえば祖母が作ったよもぎ餅だけだった。

春休みかゴールデンウィークに、むこう1年分のよもぎ餅を作る。かごを渡されて自分で大量のよもぎを摘みに行き、そのまま煎じてミキサーにかける。餅米とはと麦を配合して焚いて、そのあいだに大豆を炒ってきな粉を作る。荒いペースト状になったよもぎとお米を餅つき機でこねるとたまらなくいい匂いがしてくる。新聞紙を長い廊下にずらっとひいて、米粉をその上に蒔いて、丸めたお餅を並べて乾燥させる。帰京するときにきな粉と一緒に大量に持ち帰る。家の冷凍庫はよもぎ餅でいっぱいになり、1年にならして時々おやつの配給がある。

8歳のとき、母が弟の出産の直前に入院して、そのあいだ母の姉であるグルメな叔母が私の面倒を見てくれた。そんなオーガニックな生活をしているとは思わない叔母が、ある日、渋谷駅の東横のれん街にある東横パン(現サンジェルマン)で、食パンと一緒にねじりドーナツを買ってくれた。当時35円。家に帰ってミルクティーを入れてもらって食べた。!!! あまりの衝撃でよく覚えている。グラニュー糖のじゃりじゃりした感じ、かじると想像外にもちもちとしてねじった部分がびよーんと伸びる。。。

母が退院してきて当然、元のよもぎ生活に戻る。小学校からテニスのラケットを持って、グランドピアノで練習して、渋谷の白鳥と呼ばれていたはずが、サンジェルマンのガラス越しにねじりドーナツを鼻ブタで見つめる子がひとり。。。

たしか朝早くに出発してコーヒーを飲もうかと、どこかの高速道路のSAに立ち寄ったらドーナツプラントがあって、抹茶ドーナツを前にそんな昔話をしたところ、同じ富ヶ谷の住人が、Haritts うまいよ+諸諸説話してくれて、私がふーん、でもドーナツやでしょ(甘いもの興味ないって言ってるじゃないの)、的態度で聞いていたのか、知らないなんてモグリだとまで言うので、その解決ためだけのためにも行かねばと思っていた。

何度もトライして、モグリ呼ばわりが本モグリの危機かと思ったほど、店の場所がわからず、同じ商店街にあるパンの名店、ブーランジェリー プーヴーのあげドーナツ(もまた絶品)でよいかと、妥協しかけていたところ。。。なんとそこは、上原ヨギーの朝練後のコーヒースペース。練習後に連れて行ってもらいました。

いやー、美味しいじゃないですか。普通においしくて、幸せな気持ちになります。ひとつ150-200円くらい。昔35円のねじりドーナツで幸せ爆発だったことを思い出します。あのときのねじりドーナツと同じようにもちもちしてちょっと伸びます。そして満足。お茶とお菓子が幸せと言ったばかりだけど、ドーナツはコーヒーが合う気がします。メロンパンと牛乳、ドーナツとコーヒー、ピザとコーラ、字面だけだと体に悪そうな組み合わせは、昔怒られた買い食いの香りがして無駄に美味しいです。

ちなみにハリッツ、8月前半は夏休みです。あのままハマりそうだったのでよかったです。どうかどなたもお土産に買って来ないでください。

2011年7月26日火曜日

お茶とお菓子でひと息。



子供のころは食が細くて、ご飯を食べなくなるからという理由で我が家にはおやつという習慣がなく、コーヒーや紅茶は朝ご飯のときに飲むもので、日本茶は夕ご飯のあとに飲むものだった。大人になってコーヒーをがぶがぶと飲むようになり、すっかりスターバックスに毒されているが、最近はコーヒー中毒もおさまり、ここ半年くらいは世界中のいろんなお茶を楽しむ機会に恵まれ、<なんだかほっとする>という気分を感じるようになれたのは、さらに大人になったようで得した気分だ。

コーヒーは徐々にテンションをあげたり、集中力を維持したりするのに最適。朝、コーヒーを飲みながら新聞を読むと働く気分が盛り上がってくるし、ずーっとアタマを使う必要があるとき思考持久力が切れる前に自然とコーヒーを補充している。自分で入れるとなお美味しい。入れているときの香りや動作が気分がいい。ここ10年くらいはケメックスを愛用している。コーヒーは銀座茜屋珈琲、京都のイノダコーヒー、軽井沢の丸山珈琲と日本の名店のブレンドが好き(どこまで行ってもブランド好き...呆)。新しいところで、先日杉山台工房のブレンドをお土産にいただいた。こちらはブレンダーのかたのお人柄か(知らないけど)、深くてもやさしい味。おいしくいただいている。ボスからもらった母国ニカラグアのコーヒーもパンチが効いていてお気に入り。夏向き。仕事のあいま向き。飲酒明けにも効く。

かたやあらゆるお茶は入れていただくのが美味しい。ティーバックで自分で入れたお茶なんぞ、お茶のせいでなく、気分が美味しくない。

今日は朝から最近取り組んでいる慣れない問題に、コーヒーで補充する間もなくアタマを使い続けて使う脳がなくなってきたところに、美味しく銘茶を入れていただき、地元の名店のくずもち(写真右)とともに休憩。あー、ほっとします。一瞬いろいろ忘れます。ありがとうございますー。

そういえばこのお茶、お土産にいただいた滅多に手に入らない中国のお茶で大事に飲んでいるのだが、ななこのお通夜 のときにお客様対応を手伝ってくれた、みなこさんやかおりさんがバカスカ入れているのを見て、あんなに悲しくてブーブー泣いていたくせに、あー、そのお茶、高いんだけど、と実は思っていた自分は、意外と冷静だったのかなと、や、ケチなのかな。。。途中でこっちのお茶も美味しいわよと、マンダリンのハーブティに変えたことは、秘密です。こっちはいつでも買えますからね(ホテルのスパで買えます)。

今日中に食べるべきくずもち(写真右)、でも、こっちは明日でも大丈夫だという蒸し羊羹(写真左)は、夏の終わりを告げるお菓子。

まだまだ暑いけど、まもなく7月も終わりです。

2011年7月1日金曜日

電通110周年


おそらく2年ぶりくらいに、師匠とその同僚に会ってコミュニケーション談義に花を咲かせた。突然メールをいただいたので、なにか用件があるのかと思っていたら、単に雑談がしたかったということだ。ありがたい。

電通にお勤めの師匠には、まだ20代の頃、出版社でニュース雑誌の広告営業をしていたときに出会って、メディアビジネス、とりわけ広告ビジネスのいろはを教えていただいた。そのニュース雑誌を担当する前は、(当時)飛ぶ鳥を落とす勢いの女性誌の担当だったし、その前は超メジャーな出版社でメジャーな雑誌やっていたから、広告営業の苦労はほとんどしてなかったわけで、それに気づいたのは、タイアップもしない、広告フォロー編集ページも作らない、部数もあんまり出てない、みたいなそのニュース誌を担当してからのことだ。女性誌担当のころはお菓子や見本誌を持って営業に行って一通りおしゃべりして帰ってくれば、手ぶらってことはなかったが、ニュース誌に出してくれそうなクライアントは、突然こんにちわ、ってわけにもいかず、こりゃ代理店さん頼みだなって早々に決めこんで、本当に毎日電通に通ってた。

師匠は当時の雑誌局で雑誌担当、通称”紙担" で、私が担当している雑誌のほかにも多数担当雑誌を抱えていて、当時一番広告料金が高いと言われていた神保町にある某社の女性誌も担当していた。私の物件はどう見てもプライオリティが低くて、普通に通ってもだめそうだったので、あらゆるニュース誌や新聞を研究して、<ほかに入っててウチに入ってない欲しいクライアントリスト>を作って持って行ってみた(文句リスト、と言われた)。リストにしてみると、版型がフォーカスやフライデーと同じだったので(って言うのも失礼だけど)、いわゆるコンプレックス産業の広告が多くて、そもそも雑誌としてかっこ良くないなと思った(と、言ったそうである)。師匠はまあ、じゃあ、この雑誌を読んでいるヒトはかっこいい、というイメージ戦略で行くべと、まずは表周りの広告から全部入れ替えることから始めることにした。

<俺、忙しいからね、自分で営業してね>と言われて、毎日社員みたいに雑誌局にまず行って、保険のおばさん並みに営業局を回っていた(当時の電通は聖路加タワーにあって、いまみたいにセキュリティが厳しくなかった)。なにかネタがあると、師匠に報告する。そうするとあとはよしなにまとめてくれる。夢のような大ネタも理屈の通し方から企画書のまとめかたまで教わりつつ、何本も実現させてくれた。広告の質がどんどんあがって、雑誌もどんどんきれいになった。ニュース誌だけどファッションや香水の広告も入るようになったり、ビル ゲイツ悪の帝国とか特集してたのに、マイクロソフトの広告も年間で入った。トラブルと<調整します>と言って、本当に調整されていた。いやー、電通さん、頼もしい、頭いい、すごい、といつも思っていた。

その後、師匠は営業局に移動、私も転職をして広告を出す側になったわけだけど、マイクロソフトを担当してくれた営業さん、通称、さいちゃんもやはり、頼もしい、頭いい、すごい、の3拍子で、さいちゃんが担当を外れるときは、マーケティングに関わっていたメンバーで盛大な送別会をやったほどだ(そのときに酔っぱらってフェンディのサンダルを片方なくしたことを今思い出した)。

そのふたりのおかげもあって、私は電通さんが大好きでなにかと頼りにしている。こんなことがしたい、というと形にしてくれる。今の会社の前のベンチャーのときも、電通と提携することに結構こだわっていた(最後まとまる前にテスラ行っちゃったけどさ)。

いま、景気が悪かったり、メディア事情が大きく変動していて、大手の広告代理店さんは立ち位置がちょっと難しくなってきているように見える。独立系のブティックやフリーランスが存在感を出してきているように見えて、大手は外に丸投げしてベルトコンベアーに乗せて運んでいるだけ、なんて言われたりもしているが、私はそれでいいんじゃないかと思っている。クリエイションはクリエイターがやればいいし、プランニングはプランナーがやればいい。社内でも外注でもどっちでもいい。才能があって信頼できるプロフェッショナルを間違いなくキャスティングし、共通認識を持たせて、スケジュールと予算と事故を管理して、発注側の思い込みやズレを調整してくれ、想定以上のものを納品まで仕切ってくれる。請求書に<管理費>っていう項目があるけど、それはその仕切りに対してのフィーだと思う。

ウチの会社も早く大儲けして、また師匠やさいちゃんと仕事できるよう頑張ろう。

今日は電通の創立記念日だったそうで、恒例のでんまんをいただきました。110年、すごいな。電通さん、これからも頼りにしています(当面ちょっとお金がありません)。

2011年5月30日月曜日

ななへ

少し前に長門裕之さんっていう俳優さんが亡って、ファンのひとたちは、もう少し長門さんの演技をテレビや映画で見たかったんじゃいか、って思ったんだけど、ゃんの私の思いもちょっと似ています。ちゃんが毎日見せてくれる、笑顔や寝顔や、散歩のときにぷりぷり振るお尻や、門番してくれているときの後ろ姿や、テラスでくつろいでいる姿をもっとずっと見たかったです。それにちゃんはテレビや映画を通してではて、毎日私の目の前にいて、話したり、一緒にご飯食べたり、一緒に遊んだり、一緒に飲みに行ったり、一緒に寝たりできたから、ここにいってしまったことが不思議で、寂しいです。

ちゃんは、私にとってスターでヒーローで目標でした。かわいくて、賢くて、気持ちが優しくて、凛々しくて、たおやかで、美人で、黒目で顔が小さくて美脚でスタイルがよくて、華やかで、そしていつもぜかちょっと面白い。写真に一緒に写るとちゃんだけがフォトジェニックで、一緒に飲みに行くと、ちゃんだけが知らい人にも名前を聞かれてかわいいね、と言われたりして、私は結構まじめに嫉妬していました。生まれ変わったらちゃんにりたいってよく言ってたのは、実はホントです。

ちゃんと一緒に暮らすようにてから、私は本当に楽しくて幸せでした。どことがあっても、家に帰って、ちゃんに派手に迎えられ、一緒に歩いて飲みに行って、一緒に寝れば、毎朝気持ちよく目覚めて、また1日を過ごすことができました。ちゃんと一緒のおかげで、私ひとりだったらお友達にかったかもしれいひとと友達ったり、一人じゃ行かかったところに、行ったりしました。働いた会社のオフィスには全部一緒に行ってくれたし、仕事にも、飲み屋も、ヨガの練習も、どこでも一緒に行ってくれて、ちゃんはずっと待って私の人生をずっと見ていてくれました。よくつきあってくれたね。

私はちゃんの相棒としてどうだったか。散歩もご飯もよく略バージョンだったり、旅行や出張にしょっちゅう行ってしまったり、ずいぶん寂しい思いもさせてしまってごめんね。ただ、私の生が楽しくて幸せだったように、ちゃんも多くの人に出会い、愛され、色んところに行って、色んことを楽しんで、色んのを美味しく食べて、10年を満喫してくれたことを願っています

ちゃんと出会うまで、私はずっと孤独で寂しくて、ゃんと暮らすようにって、ちゃんだけが本当に私を思ってくれているよう気がしていたんだけど、ちゃんが亡くったことで、私自身が多くの友達に愛されて支えられていることを知りました。最後の最後までありがとう。

天国でも元気に遊んでください。美味しいものを食べて、色んところって、楽しんでね。私もちゃんを目指して、楽しく生きていきます。

また遊ぼうね。
2011年5月30日
どいあつこ

柴犬 こ:2000年4月20日生まれ。インターネットの里親サイト経由で、1歳3ヶ月のときに我が家。ボール遊びとお散歩をこく愛し、シャンプーと掃除機が天敵。行きつけの店は、かつてはTarlum 、去年の秋からFire King Cafe 。真っ黒鼻とぎゅっと巻いたしっぽがトレードマーク。新幹線、小田急ロマンスカー、NEX、タクシー、GT-Rを乗りこし、旅に出ること多数。でも地元の東大グラウンド、代々木公園、そしてお家が一番好きだったかも。2011年5月27日(金)、入院先の病院の近所を元気に散歩したあと、眠るように、午前11時15分、他界。28-29日に多くの友人とたくさん花に囲まれて見送られ、30日出棺。現住所:天国。本籍:in my mind.